齋藤優奈さんの写真

齋藤優奈(さいとうゆな)さん
文:齋藤明(さいとうあきら)さん(父)

2009年茨城県生まれ。先天性の二分脊椎(脊髄髄膜瘤)で、合併症の水頭症とキアリ奇形2型を発症。車いすでの生活で、腰から下は感覚がなく、骨折(2013年に右大腿骨骨折)しても、痛みは感じません。食事は胃瘻(いろう)から行い、導尿、浣腸が必要で、就寝時に酸素吸引が必要。これまでに手術は13回(18術)実施。現在は、特別支援学校の6年生です。

今春、特別支援学校の6年生になった娘の優奈は、先天性の二分脊椎です。腰から下が動かず、感覚もありません。二分脊椎(※1)とは、簡単にいうと、何らかの原因で、腰部の皮膚、筋肉、骨が部分的に欠損し、脊髄の神経が露出した状態です。

術後(脊髄髄膜瘤修復術)合併症の症状が現れてしまい、『水頭症』と『キアリ奇形2型』の手術も受けることになりました。キアリ奇形は呼吸障害を起こし、主治医からは、今後を考えると一刻も早く『気管切開』することを進められ、涙ながらに手術をお願いしました。退院するまでの半年間で、手術は6回を数え、小さな体で手術を耐えて頑張ってくれた娘を誇りに思います。

娘が2歳の頃に、小さな声で「アー」と言っているのが聞こえました。言葉を発することができないのに、もしかして聞き間違いかなと思いましたが、その後も少しずつではありますが、言葉を発するようになり、なんと!今では、気管切開をしているのに普通にしゃべれるようになりました。そうです、『奇跡』が起きました。主治医も特異な例だと驚いていました。その時に奇跡は起きるものだと思いました。

家では車いすでの生活ですが、しゃべれるようになったことで、コミュニケーションも取れるようになりました。住んでいるところが田園地帯にある集落ですので、近所は高齢者が多く、散歩に行くと、みなさんが自分の孫のように接してくれます。おかげで、娘の友達は60代、70代です。特別支援学校へ入学した頃、よく祖母と近所の公民館へ行き、お茶会に参加して楽しんでいました。覚えてくる言葉が、車いすのタイヤのことを『ハンマ』、雨傘のことを『コウモリ』、当然学校の先生には通じません。しかし地域が人を育てると言いますが、まさにそのとおりで、みんなに育てられて成長してきた気がします。

水頭症の影響なのか、空間認識能力が劣るため、昨年から、1課程(普通校と同じ授業内容)を2課程(自立を目指す授業内容)に変更しましたが、毎日学校へ行くのがとても楽しいようです。特に、体育の授業で行うボッチャ、音楽や図工がとても楽しみのようです。また、週に2日は放課後等デイサービスを利用しています。みんなとゲームを楽しんだり、学校とは違う雰囲気なので、利用日をとても楽しみにしています。

帰宅後は、パソコンのWordを使って作文を作ったり、教科書を写したり、自分なりにパソコンで遊んでいます。また、動物や昆虫に興味があり、よく本を読んでいます。

休みには、ショッピングモールによく連れていきます。どうしても、導尿を4時間おきに行わなければならないので、その設備(身障者用トイレにベッドがあること)が整っている所にしか行けないという実情があります。身障者用トイレは設置してありますが、なかなかベッドまで設置してある施設がありません。ノーマライゼーションの普及には、もう少し時間がかかりそうな気がします。

娘の将来の夢は、日々変わるようで、今は『Niziu』の歌と踊りに夢中ですが、将来、自立できることを願っています。また、親にも将来の夢はあります。できれば一度でいいので、娘と一緒に手をつないで歩きたいです。そして、必ず娘より1日だけ、長生きをするという夢があります。奇跡は必ず起こります。


※1「脊髄馬尾神経が入っている背骨のトンネル(脊柱管)の一部の形成が不完全となり、脊髄馬尾神経が脊柱管の外に出てしまっています。それにより、神経の癒着や損傷が生じてしまい、様々な神経障害が出現する可能性があります。」(日本脊髄外科学会HPより抜粋)

「新ノーマライゼーション」2021年5月号「ひと~マイライフ」より転載