手すりに捕まってリハビリする様子

42歳でパーキンソン病と診断を受けるまでに、身体の異変に気づいてから数年が経っていました。40歳になりたての頃、責任のある仕事を任され、やりがいもあり休みもろくに取らず仕事に没頭していたある日、気づくとネクタイを締める手がいつものようにスムーズに動かないことに気づきました。ただ、これは疲れているからだろうと軽く考えてやり過ごしているうちにその状態にも慣れ、あまり気にすることもなく数年が経っていました。今から思えば、仕事に逃げて忘れたかっただけかもしれないのですが。

42歳の誕生日を迎えた日、例年のように誕生日を喜べない不安が襲いました。ネクタイを締めにくくなっただけではなく、ワイシャツのボタンを留めるのにやたら時間がかかり、パソコンのマウスを動かす手も大雑把な動きしかできなくなっていたからです。

誕生日を憂鬱な気分で過ごしてしまい、情けなくなり今からでも間に合うかもしれないと思い、ネットで情報を集め診察してもらえそうな総合病院の予約を入れました。

受診日当日、問診で質問に答えていき、脳を調べることになりMRIを撮りましたが、異常が見つからず、それならSPECT検査をしましょうということになり、下された診断がパーキンソン病でした。予想はしていましたが40代でかかることはないと思っており、現実を受け入れるしかありませんでした。

この段階では職場への報告はまだで、治療方針を決めるに当たって職場への報告が必要だと感じたので、抵抗はあるものの直属の上司にパーキンソン病だと伝えました。上司からは最大限フォローするとの返事を貰えホッとしました。早速、主治医にそのことを伝え、薬物療法とリハビリを同時進行で行うことに決まりました。

リハビリは当面、通院で指導してもらったことを自宅でも続けることになりました。少しでも進行を遅らせるにはリハビリを続けなくてはならないと頭では理解していましたが、私の場合は痛みを伴っていなかったせいもあり、忙しいという言い訳のもと自宅でできない日が続きました。

しかもこれと言って確実に効果が見える方法があるわけでもなく、なおさら強い意志がないと続けられないものです。トレーニングとリハビリが違うのは、何か高い目標に向かってするのがトレーニングで、少々の苦痛があっても頑張れますが、リハビリはすることに負荷をかけ過ぎるとストレスになり、特にパーキンソン病ではそうなると効果がでにくくなると聞いたので、がむしゃらにやるものでもないと理解していました。

あっという間に1年近くが経ち、職場の上司にリハビリを続けて良い変化があるのかと尋ねられた時、正直に答えられませんでした。病名を打ち明け、最大限フォローすると言ってもらえたのにも関わらず、怠けていた自分を恥ずかしく思いました。実際にネクタイを締めたり、ボタンを留めたりする動作が以前よりスムーズになったかと言うとそうでもなかったですので。

主治医とのコミュニケーションも取れるようになっていたので、思い切って現状をぶつけてみると、職場の理解があるなら1度入院してリハビリに集中するのはどうかと提案され、この機会にかけてみようと思い決断しました。

5週間のリハビリプログラム、私にはとても快適でスタッフの方々が寄り添ってくださったのが何よりも有り難く毎日楽しく過ごせました。リハビリとは辛いものではなく、楽しむことで身体がどんどん軽くなっていくのに驚く日々でした。

理学療法では久しぶりのボーリングを楽しみ、作業療法では会話を楽しみながら散歩をしたり、マット体操をしたり、リラックスしつつも体操では筋肉痛を伴い、生きていることを実感しました。言語療法では役者になりきり、セリフを言ったり、朗読したり、人前で声を出すことが気持ち良かったです。それもこれもスタッフの方があたたかく接してくださったからです。

入院してのリハビリをしたことにより、一生の財産ができたとも思っています。同じ病気で苦しむ仲間と出会えたからです。これからの人生において、完治という言葉のない病気と共存していかねばならないからこそ、分かり合える人がいることが何より生きる力になると実感しています。

私の場合は身体の異常に気づいてから、受診するまでに数年かかってしまいましたが、これを読まれた方は、何かがおかしいと思われたら、ためらうことなく病院で検査を受けていただきたいです。

治療、特にリハビリを始めるのは1日でも早いほうが良いですし、リハビリにより回復の可能性が広がるのはもちろんのこと、進行を最小限に抑えることができるのですから。

最後に、家族がおられる方はまずは家族に伝えてください。次に職場の上司に。一生付き合うことになる病気の理解者をまわりに置くことで、何よりも不安を抑えることに繋がります。自分に厳しくなり過ぎないこと、人に甘えることも大事です。

パーキンソン病と戦うのではなく、共存しながら、楽しい人生を歩むことが大事です。私のようにリハビリをしながら日々暮らしているものがいることを忘れないでください。