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”障害者のリハビリテーションに関する調査研究と国際的連携のもとに障害者のリハビリテーション事業を振興することを目的としています。”

 

リハビリテーション体験記

趣旨

本協会は、障害者リハビリテーション事業に寄与するために、障害者リハビリテーションに関する調査研究事業、国際協力事業、国際研修事業、情報収集・提供、障害者団体等との協力、全国障害者総合福祉センター(戸山サンライズ)の運営、リハビリテーション振興基金の設立、国際シンボルマーク(車椅子マーク)の管理等を実施しております。
このたび、リハビリテーションのさらなる発展をめざし、皆様のリハビリテーション体験記を募集することにしました。

入選作品

人生の勝負は車椅子に乗ってからスタート

中学1、2年生の時、約310日の間、家から遠く離れた
大学病院に入院し、歩行のためのリハビリを受けた。

小学4年生の時、脊髄腫瘍があることが分かり、
小学卒業の頃から背中の痛み、足のもつれが始まり、
14歳の朝、ベッドから起き上がれなくなってしまった。

急遽、入院し腫瘍を摘出する手術を受けたが、麻酔から
目が覚めた時には「足がある」という感覚はなく、
動かそうとしても力の入れ方が分からなかった。

当時は医師や両親から病気について知らされておらず、
自分の体に何が起きているのか、
この先、どうなっていくのか全く知らず、
中学に戻ること、元通り歩ける、走れることを信じて
疑わなかった。

ある程度、手術の傷が良くなるとリハビリが始まった。
最初は両足に装具をはめ、無理やり膝を伸ばした状態で固定し、
平行棒の間に立つことから始まった。とは言っても足の感覚と
筋力はゼロなので、立っているという意識はなく、倒れないように
両腕で全体重を支えているのに必死だった。

朝と夕方の1日2回、トータル4時間をリハビリ室で過ごした。
1か月くらい経つと平行棒の間を5往復、腕で歩くことができるように
なったが元のようには程遠く、だんだんとリハビリへの意欲がなくなり、
付き添っていた祖母に悪態をついたり、両親にリハビリをしても
意味がないと言うようになった。

特に周りから言われる「頑張れ」という言葉が反発したくなり、
その言葉を聞くのが一番辛かった。
普通、「頑張れ」という言葉は元気づけたり、励ましたり、
応援したりするなど、言われた方はパワーをもらう言葉である。

しかし当時は「頑張れ」と言われると、
「これだけ歩く訓練をしているのに、まだ頑張らなければいけないのか、
頑張っていないようにみえるのか」

と思い、腹立たしさを感じると共に、応援に応えられない自分が
情けなかった。

リハビリテーションの基本的な意味は「元の適した状態に戻すこと」であり、
自分の場合は「歩けるようになること」であった。そのために学校を休み
入院生活を送ったが、1年を過ぎても歩行機能は改善せず、
1年半を超えた頃からは、いつリハビリが終わりになるのかと疑問を持ち始めた。

もし歩けるようになるまで続くのであれば、一生リハビリをしなければ
いけないのかと本気で考えたこともあった。リハビリを否定するつもりはなく、
必要な人、リハビリによって生活しやすくなった人がほとんどであると思う。

あきらめずに頑張り続ける人がいることも十分理解しているつもりである。
しかし間違ってはいけないことは、「障害はあってはいけない、健常者に
少しでも近づかなければいけない」という考えは正しくないということである。

そして何より大事なことは、本人自身の意思最大限に尊重することだと思う。
14歳だったあの時、親や医師は自分には体の状況や障害のことを教えてくれなかった。

中学生には酷な話で、聞けばショックを受けるだろうと心配したからだと、
大人になってから聞いたが話して欲しかったと思うことがある。
実際に、車椅子生活になると知った時、うまく言えないが自分自身はほっとした。

人生の勝負は車椅子に乗ってからスタートすると思った。
医師や家族を恨んではいないが、しかし、あの時、自分を信頼して
伝えてくれていたら、また共感してくれる人が傍にいてくれたら、
堂々とスタートを切れたと思う。

自分が経験したリハビリテーションは、辛い思い出であるが、
多くの人との出会いがあり、様々な障害者とつながることができた。
そして何より、障害者とは何者かということを考える貴重なきっかけであり、
今の自分を価値観に大きな影響を与えるものだった。

今1年9ケ月になりますが、順調に回復してます。

2012年11月21日2時
トイレに行くのに起きると躰が左に取られてふらつく。
とりあえずトイレを済ませて寝る。5時頃に再度トイレ行く。
フラつきは続いていて再度出る。7時に起きるとフラつきは
消えず、息子の嫁に今日は医者に行くといっていた。

これを聞いて、息子の嫁は気になったことがあって
女の父に電話する。するとそれは脳梗塞の兆候だと至急に
救急車で病院に行くことを獎められた。
息子の嫁は救急車を呼び病院に運び込んでくれた。

そして脳梗塞と診断され救急病棟で過ごすことになりました。
症状は比較的軽く2-3日で退院出来るものと勝手に本人は
おもっていた。
が24日に一般病棟に移動する日に再度脳梗塞が発症して、
絶対安静の病棟生活となりました。

ラクナ梗塞と診断され病院生活をし始めました。
トイレにも行けずおまるだったのが車椅子でのトイレ行きが
Okとなりました。
が躰はフラつきバランスが取れない、この時に藤平光一の氣の
威力に掲載されていた一教運動を思い出し、ベットの横で実践を
し出しました。

バランスを取れることがまず一番と努めました。
そして、一階下に設置されていたコーヒー販売機のところへ
日々階段つたいにコーヒーを飲みに降りることが日課となりました。

3週間ほどして一般病棟にうつることが出来、退院後のことで
通院の話がでましたが、一人暮らしでは、通院もバスの乗降する
ことが厳しいのでリハビリ専用病院に転院をお願いし,転院をしました。

12月末になり年末休暇を迎えて病院も休みになるのを機会に
自宅でのリハビリに切り替え実施しだしまそた。
1月の休暇明けには病院に戻ることもなく自宅リハビリを
続けめました。月1回病院にいき、投薬・診察を受けました。

そして2月からは、大衆浴場に週1回いき、浴場リハビリに
努めました。1年後には殆ど毎日、入浴をしてリハビリでの
回復に努めています。

今1年9ケ月になりますが、順調に回復してます。
留意したのは、健側の腰椎筋肉の使いすぎと麻痺側の筋肉の
活性化を図るいい手が見つかるまでに時間がかかったことです。

いまは一教運動をベースに全身のバランスをとりつつ、
各種の腕振り(前後・左右・廻転・上下)と座位開脚運動・
座位伸脚運動です。
腰痛予防には階段昇降とバランス維持には田中教授のSJT40の
実践をしています。

問い合わせ先

公益財団法人日本障害者リハビリテーション協会
〒162-0052  東京都新宿区戸山1-22-1
TEL : 03-5273-0601 FAX : 03-5273-1523
email:soumu@dinf.ne.jp